この記事を書いた人

現在の年齢:49歳
当時の年齢:25歳
元旦那との出会いのきっかけ
当時私は20歳で、電気メーカーに勤めていました。
同じ部署で仲良くなったリナと、その頃は仕事帰りに毎日遊びに出かけていました。
当時は私にも公務員の彼がおり、3年ほど付き合っていた頃でした。
結婚の話もするようになり、このまま結婚するのかと悩んでいました。
穏やかな付き合いでしたが、20歳の私には真面目な彼が少し物足りなかったんだと思います。
そんな頃、リナが言ってきました。
「週末、遊びいかない? かっこいい男の子達と約束してるの」
そもそもは、リナが狙っている彼との仲を取り持ってほしいといった誘いでしたが。
これが元旦那との出会いのきっかけになりました。
元旦那との出会い
週末になり、合コンという形で6人で居酒屋にいきました。
リナが狙っていた彼は、確かに背も高くイケメンです。
そして他の友達も少しヤンチャ風な身なりで、腕には入れ墨が入ったりしてました。
今でこそタトゥーはファッションの一部ですが、四半世紀前の話です。
最初は身構えしていたものの、彼らの話や行動が、自分には新鮮で楽しかったのを覚えています。
そんな目立つ彼らの中に1人、いたって普通の男の人(名前は真一)がいました。
「こいつら無茶ばっかりするから、適当なところで帰って大丈夫だよ」
最初は目立たなかったので気にもとめてなかったのですが、これがきっかけで話をするようになりました。
付き合うまで
グイグイくる他の男の子達とは違って、彼には安心感を覚えました。
何度か集まって遊んでいく中で、私は常に彼の隣に座るようになっていました。
ある時、帰り道の途中
「今の彼と別れて、俺と付き合うって選択肢はある?」
と聞かれて、私はすぐにうなずきました。
翌日には、公務員だった彼に別れを告げて、真一と付き合う事になりました。
幸せだった頃
付き合ってからは本当に楽しく、幸せな毎日が続きました。
彼の友達はヤンチャな子が多く、警察のお世話になったり、彼女を泣かせたり。
真一がなぜそんな彼らと仲がいいのか不思議なほどでした。
少ししてから、一緒に暮らそうと部屋の鍵を渡され、ほどなくして同棲生活が始まりました。
彼の友達が狭いアパートに詰めかけたり、2人でご飯を作ったり。
そんな毎日が楽しくて、嬉しくて、自然に結婚を意識し始めました。
結婚
それから1年後、2人で貯金を貯めて、狭いアパートから引っ越すタイミングで入籍。
周囲にも祝福され、結婚式も無事に済ますことができました。
私は、職場からかなり距離が離れてしまい、通勤に時間がかかる分、彼が掃除、洗濯もやってくれました。
余裕ある生活ではありませんでしたが、一緒にTVを見ているだけでも幸せな毎日でした。
不穏な転機
結婚してしばらくした頃、彼は高校の先輩や友達とサッカーチームを作りました。
週に2回、集まって練習するとの事でした。
実はこの頃、妻の立場として、真一の友人関係を見直してほしいと思っていました。
毎日キャバクラに通いつめ、彼女をほったらかし、連日違う女の子と遊ぶ友人達。
この環境に不安を覚え始めた頃です。
そんな仲間とサッカーチームを作って、練習後は飲みに行く生活に、不満は溜まっていきました。
妊娠
ある時、吐き気があり、生理が遅れている事に気づき、妊娠検査薬を買いにいきました。
結果は陽性でした。
もう少し貯金を貯めてからと思っていましたが、そのときは本当に嬉しくて、すぐに真一に報告しました。
真一も、この日は残業もせずに慌てて帰ってきてくれて、大喜びしてくれました。
私たちの子供が生まれる、親になるんだ。
喜びと覚悟をもって、この子を精一杯育てようと決心しました。
真一の変化
私は臨月直前まで働き、そのまま退社する事にしました。
真一は仕事を頑張り、それまでよりも残業を頑張ってくれているようでした。
普段の帰りは遅くなり、サッカーの練習日だけは早く帰ってきて、グランドに向かう毎日。
当然、サッカー後は深夜まで仲間と飲みに行っていたようです。
家の中でポツンとなる時間が増える毎に、不安は大きくなりました。
そんななかでも、お腹の中で一生懸命に動く我が子への愛情はどんどん募っていきました。
陣痛そして出産
退社して3週間ほど経ったある日の夜。
急に吐き気に襲われて陣痛が始まりました。
病院に連絡して、一度受診する事になりました。
その日は真一のサッカーの練習日で、何度も電話をしたのですが、出ません。
仕方なく近くの友達に連絡して、病院に乗せていってもらいました。
まだ子宮口が開いてないから、明日の7時に入院準備して来るように言われました。
帰りの車の中で友人が
「何度か真一君に連絡したけど出なくて、私の彼が一緒にいるはずだから電話したの」
「そしたら、最近はサッカーの練習なんてやってないんだってよ?」
…
心臓がドクンと動いたのが分かりました。
ずっと嫌な予感がしていたのですが、まさか陣痛のこのタイミングで。
どうにもならない不安感と共に、家に帰宅しました。
そこには同じタイミングで帰宅した真一がいました。
友人が
「出産間近の妻をおいて、あんた何やってんの?」
と問い詰めてくれましたが、痛みはどんどん増す一方。
聞きたい事は山ほどありましたが、あまりの痛みに、予定よりも早い5時に病院に向かいました。
そして7時過ぎ、無事に女の子を出産しました。
我が子の顔を見たら、愛おしくて、真一に対しての不安は一瞬忘れていました。
退院の日そして里帰り
入院して6日目の朝、無事に退院する事になりました。
実家の両親が来てくれて、真一と義母も来る予定でしたが、真一と義母は時間になっても現れません。
仕方なく近くのATMに行って、自分でお金をおろし、お金を支払って家に向かいました。
家に着くと義母がいて
「ごめんね。何度も起こしたのに、昨日遅くまで飲んでたみたいで起きなくて」
と一言。私も両親も開いた口がふさがりませんでした。
その時、飲みに行ってたわけではなく、おそらく女と一緒だったと私は思いました。
「昨日もサッカーの練習だったの?」
と聞くと、真一は
「うん。ごめんな。先輩が返してくれなくて。」
その言葉を聞いた私は、真一が浮気しているのは間違いないと確信し、義母、両親のいる前で
「サッカーの練習なんて、だいぶ前からなくなってるってこと、私が知らないと思ってた?」
と聞きました。
真一は驚いた顔で
「は?何が? お前何言ってるの?やってるよ」
慌てた様子でそう言うのが精いっぱいだったようです。
すると父が
「真一君、だとしても出産間近の妻をおいて飲み歩いたり、退院の日に来れないのは違うだろ」
色々と悟った父が、かなりきつめの口調で言いました。
真一はそれから黙って、私の里帰りの荷造りを手伝いはじめました。
それから父と母が娘を抱き、先に実家に向かいました。
私は15分くらい遅れて、自分で車を運転して実家に帰ります。
ただただ無言で何も言わず、片付けをしてから家をでると、真一が
「本当にごめんな。行けなくて」
そう言ってきたので
「私と娘より大事な人がいるならそちらにどうぞ。実家にも顔出しにこなくていいから」
それに対しての返事は一切なく、扉を閉めて実家に帰りました。
帰り道、車の中で悲しみと不安と怒りがこみあげてきてしまい、声を出して泣いて帰りました。
実家での生活
実家での生活が始まると、自分でも驚くほどに落ち着いていたんです。
家にいた頃、毎晩のように今日も帰ってこないと溜息をついていました。
でも、実家では真一の帰りを待つ不安から解放されて、育児に専念できる毎日に充実していました。
もちろん浮気の真相を放っておくつもりはありませんでした。
友人達に色々声をかけて、あらゆるネットワークで探りました。
真一からは電話で
「何か誤解させてしまって悪かった。週末遊びにいってもいいか?」
と何度も連絡が入っていました。
両親も
「父親なんだから、顔くらい見せてあげなきゃだめだよ」
と言ってくれていたので、里帰り中には何度か遊びに来たこともありました。
それから2か月、何も証拠がつかめないまま、一旦家に戻る事になりました。
家に戻り新たな生活がはじまる
真一への不信感は消えていませんでしたが、心機一転家族3人の生活がスタートしました。
サッカーの練習はなかった事を認め、友人宅でゲームに夢中になっていたそうです。
もちろん信じてはいませんでしたが、証拠も掴めないまま不信感を募らせるより、ここは切り替えよう。
そう思い、新たな生活をスタートさせました。
以前より早く帰ってくるようになりましたが、それでも生活の為に、毎日2時間は残業していました。
私も節約生活が上手になり、平穏な日々が戻ってきたように感じていました。
給与明細
家に戻ってから真一の給料日がありました。
給与明細に記されていた残業時間。
少なくても40時間以上はあったはずなのに、8時間だけ。
それから有給消化1.5日。
久しぶりに心臓がバクバクして手が震えました。
「ねぇ。これどういう事?」
そう聞くと真一は
「あぁ。それ残業が多すぎると仕事の能力がないって判断されて、賞与がさがるらしいんだよ。」
「だからタイムカード押してから残業してる。みんなそうしてる」
と言いました。
多分、聞かれたらそう言おうと用意してあったのでしょう。
「じゃあこの有給って何?」
これに対しては、うっかり忘れていたようで
「は?なんで?何かの間違いかな?会社で聞いてみるよ」
比較的、冷静な受け答えでしたが、私には何かを隠してる事が分かりました。
その晩はなかなか眠れず、天井を眺め、娘の顔を見て思いました。
もし最悪の答えが待っているなら、娘と一緒にここを出よう。
浮気の証拠
それからまもなくたった日のことでした。
陣痛の時、病院についてきてくれた友人が遊びに来てくれました。
いつも心配してくれて、心強い大切な友人です。
その友人に
「今は幸せだと思える?3人でやっていけそう?」
と聞かれ、悩んでから正直に答えました。
「今も怪しんでる。そんな自分にも疲れるし、娘にも何か伝わってるかも知れない。」
「勘違いなんかじゃないと思う事が多々あるの。」
「もし他に誰かがいたなら、離婚しようと思う。」
すると友人は言いました。
「幸せなら言うつもりなかったけど、その誰かが分かったよ。」
一瞬、目の前が暗くなりましたが、やっぱりと思う絶望感と、やっと真実が分かるという安心感。
すごく複雑な感情でしたが、その後冷静に友人の話を聞く事ができました。
まず見せてくれた写真は、結婚する前に何度かデートに行ったカジュアルバー。
その店のカウンターで、少し体格の良い派手目な女性とキスしていました。
店内がうるさいので、何枚も写真を撮られていた事に気づいてなかったのでしょう。
それにしても、店内で堂々とキス?
真一の事を、私はもしかしたら何も知らないのかもしれないと思いました。
知り合いが店内で真一を見つけて、友人に連絡をくれたようです。
友人が慌ててその店に向かって、写真を撮ってきてくれました。
そして更に分かった事。
彼女はサッカーの練習帰りに通っていた、キャバクラのホステス。
当時、コンパニオンで働いていた友人の顔見知りの子だったようです。
「この子、2人子供いるんだよ。バツ1だけどね。」
胃のあたりを鷲掴みされたような気持ち悪さを覚えました。
浮気相手はエミというらしく、友人が探りを入れてくれると話してくれました。
この時は、ただただ力が入らず、涙もでず、食欲もなく、呼吸をするのが精いっぱいでした。
浮気その後
友人がさぐりを入れると話してくれたものの、それを待つほど自分に余裕はありませんでした。
当時、娘をどう育てていたのかも覚えていませんが、笑わない母を見て悲しく思ったはずです。
友人から写真を渡されて、1週間の間に離婚届を用意し、実家に荷物を少しづつ運んでおきました。
真一は、毎晩残業と言いエミの家に行っていたので、私の荷物がなくなっていく事に気付きもしませんでした。
決心した私は、ある晩帰ってきた真一に
「今日もエミの所で残業?子供達もずいぶんなついてるんじゃない?」
と、写真と離婚届を渡しながら言いました。
凍り付いたような顔でしばらく黙ったあと、床に頭をつけて
「ごめん。本当にごめん。別に好きとかじゃないんだ。可哀そうで同情しただけなんだよ。」
「この家庭を壊す気なんかないんだよ。お前も娘も大事に思ってる。」
この時の私は、体重が8キロ減り、育児の疲れもあり、少しノイローゼ気味でした。
真一が話してる言葉が全く頭に入ってこなくて、ただ機械的に
「明日出ていくから。離婚届にサインして出しておいて。」
この言葉を繰り返していました。
この時の私は、ここを出たら幸せになれる。娘を幸せにできる。
それしか頭にありませんでした。
翌日、真一は仕事に向かいました。
「18時には必ず帰ってくるから。もうエミとは会わないから。ゆっくり話そう。」
そう言って仕事に向かいました。
真一が仕事に行くのを見届けて、娘を連れ、最後の荷物を乗せてから家を出ました。
友人からの調査
家を出てから間もなく、友人が知人に依頼して、エミと食事に行く機会を作ったそうです。
何も知らないフリをして
「子供2人いて再婚しないの?彼はいるの?」
と聞いたそうです。
するとエミは
「いるんだけど、あっちに奥さんいるんだよね。」
「でもめっちゃタイプで、店に来た時に口説かれて、1度目のデートのときに車でやっちゃって。」
「相性がすごく良くてね、ちょっと溺れちゃった感じ。」
笑いながらそう話していたそうです。
「でも、あんまりお金ないから再婚相手にはならない。既婚者でよかった。」
その言葉を聞いた友人は、
「あんたのせいで、あたしの友達離婚するの。」
そう言って店を出たそうです。
現在
その後、散々もめましたが無事に離婚しました。
あれから25年近く経ちます。
真一が今どうしているかは分かりませんが、離婚後どこかに引っ越したようです。
私は離婚して5年後に知り合った彼と再婚しました。
娘も昨年結婚し、近くに住んでいます。
孫はまだですが、今の穏やかな時間が何よりも宝物です。
今はとても幸せです。